先日、「耳が聞こえない」とジェスチャーしながらご来店のお二人。

靴を脱いで、そうやって手でしゃべりながら上がってこられた瞬間に、

もう胸がいっぱいになりました。


<色々な種類の人に出会いたい>と、常々思っているので、

出会いが嬉しかったし、

身振りやメモでコミュニケーション出来ました。

↓お帰りの際は、このようなメモを頂きました。

宝にさせてもらう~~~。



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耳が聞こえないって、どんな感じなんだろう?

御食事を提供する間、私の心もとても静かでした。



私たちは、色々な音がうるさいとか、愚痴ったり、文句言ったり、罵倒したり、

音をネガティブにばかり使っています。


でも、きっと耳が聞こえない方たちは、
そんなマイナスなことをやっている無駄はしないんじゃないかな。


なんだか、すごくすごく反省しました。



人間は色々な種類があるけれど、

絶対にみんな同じだし、

それぞれが大事に思いやって

笑いあって生きていければいいなあ・・・。



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お陰様で、50号。ありがとうございます。

・山梨県北杜市の8館(全て)の図書館
・山梨県小淵沢道の駅
・原村自由農園

に、置かせていただきました。

ぜひ、お手にとってご覧くださいませ。

サムデイさんの連載を、今回は特別に写真で載せます。

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50号の一面は、2011年6月に、スペインのカタルーニャで国際賞を受賞した

村上春樹のスピーチから抜粋したものです。

長くて、堅苦しいけど、ご了承下さい。


(「短くて軽い」ものからは、なるべく離れていたい、ってのが山麓新聞の歩む道です。)


私は、大学生の時に、(せいしゅん18きっぷで)西日本1週とか、広島に行く、とかを

電車で、鈍行で、一人っきりで、やりました。

それで、その時に広島原爆資料館に行きました。

私の記憶では、入場料が50円で、そこはものすごく広く、

一日では見切れないほどの資料が展示してありました。


それから、「原爆ドーム」です。

そこの慰霊碑には

安らかに眠って下さい 過ちは 繰返しませぬから」と刻んであり、

私は、その文字に深く深く、同意したし、「そうする!」と決意しました。


だけど、3・11はやってきました。

過ちは、あっけなく繰り返されました。


私が山麓新聞を書く大きな理由の一つは、「反省し続ける」事です。

あっけなく、3.11を迎えてしまった自分への反省です。





過ちを、繰り返さないために。

忘れないように。


あなたは、どう思われますか?


↓ 村上春樹スピーチ抜粋



我々日本人は核に対する「ノー」を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。

 

我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、

原子力発電に代わる有効なエネルギー開発を、国家レベルで追求すべきだったのです。

 

たとえ世界中が「原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ」とあざ笑ったとしても、

我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。

核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。

 

それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合的責任の取り方となったはずです。

 

日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。

それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会となったはずです。しかし急速な経済発展の途上で、

「効率」という安易な基準に流され、その大事な道筋を我々は見失ってしまったのです。

 

損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。

我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、

彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取りかかります。

それは素朴で黙々とした、忍耐を必要とする手仕事になるはずです。

晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、

みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。

一人ひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。

 

その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。

我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉とを連結させなくてはなりません。

そして生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げてなくてはなりません。

それは我々が共有できる物語であるはずです。

それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。

我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。

その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。

 

我々は「無常」という移ろいゆく儚い世界に生きています。

生まれた生命はただ移ろい、やがて例外なく滅びていきます。大きな自然の力の前では、人は無力です。

そのような儚さの認識は、日本文化の基本的イデアのひとつになっています。

しかしそれと同時に、滅びたものに対する敬意と、

そのような危機に満ちた脆い世界にありながら、それでもなお生き生きと生き続けることへの静かな決意、

そういった前向きの精神性も我々には具わっているはずです。

 

我々は夢を見ることを恐れてはなりません。

そして我々の足取りを、「効率」や「便宜」という名前を持つ災厄の犬たちに追いつかせてはなりません。

我々は力強い足取りで前に進んでいく「非現実的な夢想家」でなくてはならないのです。

人はいつか死んで、消えていきます。しかしヒューマニティは残ります。

それはいつまでも受け継がれていくものです。

我々はまず、その力を信じるでなくてはなりません。






4年後に、18歳が成人になるそうですね。


我が家の長男は、4年後に20歳です。


次男は、4年後に18歳です。


わお!!


同時に成人になっちゃうの!?


不思議?おもしろい?楽しみ?

とにかく、4年後に二人とも親の保護から離れるのね。

嬉しいような。

嬉しいような。w

ご褒美みたいじゃんか!!


その日まで頑張って生き延びよう。






最近のニュース。

くるりが、新しい楽曲を「テープ」で販売しました!!

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我が家には、カセットテープデッキがあるので、聞けます!!

かっこいいね、くるり。






街に出て、チェーン店の大きい本屋に行って、

誰もいない、<ハードカバー新作・海外>のコーナーで、

!!!サリンジャーの新しい本!!!!!

!!!サリンジャーの新しい本!!!!!
!!!サリンジャーの新しい本!!!!!
!!!サリンジャーの新しい本!!!!!
!!!サリンジャーの新しい本!!!!!
!!!サリンジャーの新しい本!!!!!

を見つけて、時が止まってしまった。

目を疑った。

「え?」「えええ?」「ええええええっ??」


私は、サリンジャーが<作家の中で一番好き>だった頃があって、

(多分、世界中のだれもが、そんな時期があるものでしょう)
(つまり、それが大人になんてなりたくない時期ってもんだ)

サリンジャーが書いた本は擦り切れるほど読んだ。


サリンジャーは亡くなっているけれど、

<幻の作品がある><それが出版される>
と言う、噂は聞いていた。

それが、目の前にあって、しかも発行日は手に取った前日じゃないか!!

わお!!




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「これを読んだら、すべて終わってしまう」と思いながら、

読み始めたら、







つまんねえな!!

駄作だわ。

・・・・・というか、そんなの当たり前のことなんだよね。

駄作だから、ベストセラーになっていないんだよね。

改めて、サリンジャーに同情するし、愛おしい。

「キャッチャー」(ライ麦畑でつかまえて)は、

あんなにあんなに・あんなに、ものすごい作品なのに。

あれしか書けなかったサリンジャーは可哀そう。

あれを書いてくれたサリンジャーはカッコいい。



この本は、持っているべきではない。


きっと、サリンジャーはお墓の中ですごく怒ってるんじゃないかな。

この作品は、発表するに値しない。

あー、立ち読みしてから買うか決めるべきだった。






サリンジャーの新しい本を見つけて、目を泳がせていたら、

↓これも見つけて。


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何と!!!

去年発売されてた!!!

村上主義者失格だー、私―・・・・。

これは、ゆっくり読みます。






たまには、大きい本屋に行くのもいいですね。






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